私の教え子の中に、男子体操競技オリンピックメダリストの「池谷幸雄」がいます。 今回は、池谷がいかにして「世界の池谷」に成りえたのかを紹介しましょう。
<池谷幸雄のオリンピック>
日本中の注目を浴びて、高校生初の日本代表となった「池谷・西川コンビ」の大活躍で、 ソウルオリンピックでは団体銅メダル、個人(床)も銅メダルに輝きました。 4年後、大学生でありながら日本のエースとして迎えたバルセロナオリンピックでは団体銅メダル、 個人(床)では銀メダルを獲得する期待以上の活躍を見せました。アトランタオリンピックへの期待のかかる中、 大学生活の終わりを切りに引退し、芸能界入りを表明。 <池谷幸雄成功の理由> 彼が成功した理由を3つ挙げますと、第1は「親の信念」です。 どんな時も自分の子どもを信じ、常に夢を持たせ期待し、それに必要な環境を整備してあげる「親の信念」なくして、彼の成功は語れません。ちなみに、彼の母親は常々「幸雄は絶対オリンピックに行かせる」と言っていました。もはや「執念」です。すばらしい!
第2は「指導者との出会い」です。 彼が始めて選手になった時に出会ったコーチが私です。次にマック体操クラブ(当時)の城間先生でした。そして清風中学・清風高校から日本体育大学へと進学 しました。ここでポイントとなるのは、最初に体操の楽しさ(基礎)を教えることには定評のある「松山」と出会い、次に体操の基本を築くことにおいては日本 でも屈指の「城間先生」と出会ったことです。この順序が逆だったら、彼はきっと体操を止めていたでしょう。
第3は「体操カラー」です。 ちょっと解かり辛い かもしれませんが「清風高校」も「日本体育大学」も、彼の「体操カラー」に合っていたのです。残念なことに、彼以上の素質を持ちながら「体操カラー」に合 わない学校へ進学したがためにつぶれてしまった選手もいます。彼の場合、中学進学時には「松山」が、大学進学時には「城間先生」が、彼に合った学校を推薦 (アドバイス)したことも大きな要因のひとつと言えるでしょう。
この内、いずれかでも欠けていたら、日本体操界にとっては大きな痛手となり「ソウルの感動」も「バルセロナの興奮」もなかったことでしょう。 大阪リゾート&スポーツ専門学校講師 松山 正清
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